· 

なんちゃって俳句No8‐22<なんちゃって俳句!300句突破!!!>

番外編

いつでも帰れるわが家わが里

 

揚羽蝶見つけたら子供に返る

 

 

 

 

<なんちゃって俳句!300句突破!!!>

 

俳句記念日が終わり

どことなく夏バテ気味ですが

そんななかでも

やっぱりなんちゃって俳句は書いてます。

 

俳句日記のような気持ちですが

なんちゃって俳句にはなんの括りも無いので

どこか気構えが違います。

 

想いのままを綴ればいいのですが

どう書いたらいいのか迷います。

 

俳句を初心者の方が初めて詠む時のような新鮮な気持ちです。

これは悪い事では無いと考えます。

 

何とか300句突破して

今日は340句となりました。

沢山書けばいいというのではないのですが

ある程度の俳句を書き込んでみなければ

自分がどんな風に書きたいのか

自分でも解らないので

兎に角、はじめて3ヶ月程度の内には

出来るだけ書き溜めています。

 

俳句記念日の8月19日に向けて

その前後は大変だったので

その後は、少し休み休みですが

ここで挫けてはなりません!!!!

 

そこで、今日はこれまでの300句を見直してみました。

 

前回の自己分析は200句越えだったので

まずは、その後からです。

 

「元気本気やる気かち気まけん気だ」

「猛暑にのぼせて雷雨に叱られて」

「風が吹かなきゃ扇子で起こす力」

 

こんな句がありました。

まず初めの句は「気」の語呂合わせです。

猛暑を乗り越えるには気力が大事だと感じて書いた句です。

句またがりですが17文字です。

 

次は「猛暑」と「雷雨」で夏の季重なりです。

フレースは2つになっていますが17文字です。

 

「扇子」が季語ですが風のない夏に風を起こす

人間の動きく力を詠んだものです。

力には権力、洞察力、威力、重力など

人の動く運動の力意外にさまざまな力がありますが

扇子を動かす力と風を起こさせる力を

掛けて書いた力の句です。

 

「毎日が自然との生存競争」

「今日が今日二度と無い日がこないよう」

 

温暖化が地球規模で大問題で

最近では温暖化どころか沸騰化だなんて記事を見たりしましたが

山火事や台風で世界各地がものすごい被害にあっているよう

恐ろしい時代です。

人間が生き抜くためにはそんな厳しい自然と戦う

まるでジャングルのような不思議な夏です。

そんな想いを詠んだ句です。

次の句は、二度とない日とは「終戦記念日」のことで

「原爆忌」なども当然含まれます。

私は戦後生まれで戦争の記憶がありません。

なので、今の自分たちの生活を守るための平和を祈り

人々が死に追い遣られた悲惨な状況が

二度と起こらないようあってはならない日として「終戦記念日」を書いた句です。

 

「炎暑来て暦は秋と言うけれど」

「ふるさとはいつでもいつかまた帰る」

「無花果にだって実の中に花がある」

 

立秋を過ぎてからの句です。

暦と現代のカレンダーとの違いが

毎年、特に夏には気になります。

次は、郷愁の俳句です。ありふれた俳句ですが

帰省の多いこの時期にふと誰もが想うことです。

その次の句は「無花果」を詠んだ句です。

写生句のようですが、「にだって」と書いているところに

作者の心理心情が含まれています。

 

「人生泣き笑いいつも天気雨」

「涙が涸れたら心が涸れるとき」

「朝顔が咲いたら黙祷の日が来る」

 

天気雨が多い夕立の季節なので

そんな、先の読めない人の世の運命を書いています。

次は、ちゅっと演歌風ですが

雨のように涙が涸れては人の心も涸れちゃうという句です。

最後は300句目の句です。

ちょうど朝顔が咲く季節になると

毎年、高校野球と終戦の日がやって来ます。

戦後生まれの私達には自由で平和な時代がいつまでも

続くことを祈願する日だということを

決して忘れてはならないという想いで書きました。

 

以上が「なんちゃって俳句」を300句突破しての想いです。

これまで私が掲げて来た「凝縮性」「具象性」「普遍性」

この3つの柱は、俳句の概念として

この「なんちゃって俳句」の中にも活かされていると確信しました。

 

まだまだ「なんちゃって俳句」は書き続けます。

だんだんなんちゃって俳句こそが

令和の時代には自然な俳句なのではないかとさえ思えて来ています。

 

想いのままの心の表現が俳句で出来たら

作者の表現者としてのクリエイティブな感情は満たされる気がします。

心の底からの自由で楽しい「なんちゃって俳句」を目指します。

 

<300句目の俳句>

 

「朝顔が咲いたら黙祷の日が来る」